メキシコに愛されて輝く日本人女性。アステカTV映像ディレクター・西野愛鈴さんインタビュー

May 8, 2018

西野愛鈴さんの名前を知ったのはもう5年以上前。ずっと会いたいと思っていた彼女に、念願かなってじっくりお話をうかがう機会がありました。

 

 

たまたま、が続いたその先に

 

【パチューカ(メキシコ)西野愛鈴通信員】。

2017年7月よりメキシコサッカーチーム、クラブパチューカに在籍していた本田圭佑選手の動向を伝えるサンケイスポーツの記事で彼女の名前を見た、という人も少なくないのではないでしょうか。

 

(C) ZUZU

 

今年で在墨18年になる西野愛鈴(あいりん)さんは、メキシコの大手テレビ局「アステカTV」のスポーツ部に映像ディレクターとして勤務しています。聞くだに華々しいその職業。そして大手メディアという狭き門。元々、海外のテレビ局に勤めることを熱望していたのかと聞いてみると「全っ然」という意外な答えでした。

 

「当時在籍していた日本の大学の就職課に、たまたま、メキシコのグアダラハラ補習授業校の教員募集があったのです」

 

 

ペルー人の父親を持つ愛鈴さんですが、日本で学校教育を受けたため、スペイン語は日常会話程度。そこで、これはスペイン語に触れるいいチャンス、とむしろご両親のほうが強く背中を押してくれたそうです。

 

「スペイン語学科を出たわけでもなく、教員免許も持たず。それでグアダラハラに向かいました」

 

ここが愛鈴さんのすごいところ。石橋を叩いてたたいて、それでも物足りないくらいの私には到底真似できない行動力です。

 

 

2年間の教師としての契約を終え、さて日本に帰ろうかと思った愛鈴さんですが、せっかくなのでその前にメキシコシティに行ってみよう、と首都に降り立ったのが2002年。折りしも日韓ワールドカップの年。

 

ふたたび「たまたま」TVでワールドカップのニュースを見、「こんなチャンスは二度とないだろうから、日本語=スペイン語通訳として間近でワールドカップを見てみたい」と思い立った彼女は、今度は履歴書を携えて主要なメディアの門を叩きます。

 

「もちろん、全滅でした」と笑う愛鈴さんですが、更に「たまたま」彼女の履歴書が、アステカTVのリポーター部長でもありメキシコで著名なDavid Faitelson/ダビット・ファイテルソンの手に渡り、念願かなってメキシコ代表取材クルーの一員として日韓ワールドカップに携わることとなりました。

 

取材クルーの一員として、通訳・運転手・雑用、とすべてをこなしてやりきった愛鈴さんの働きが、当時アステカTVのスポーツ部長であったスポーツジャーナリスト、José Ramón Fernandez/ホセ・ラモン・フェルナンデスの耳に届き、スポーツ部の映像アシスタントとして迎えられることとなり、再びメキシコの地へ。ここから愛鈴さんのアステカTVでの第1歩が踏み出されます。

 

ボクサー亀田和毅選手と

 

アシスタントとして2年。大げさな表現でなく、365日休みなく走り回った愛鈴さんに、さらに運命の女神は微笑みかけます。映像編集のシステム変更に伴い、編集部の全員が同じスタート地点に立ち研修を受けることに。更に当時いたベテラン勢含め40人弱のエディターの中で2位の成績を修めたことで、晴れてエディターへと昇進することなったのです。

 

 

 

「やっかむよりもやっかまれる方がいい」

 

そこで昇進と共に彼女を待っていたのが同僚からのやっかみ。

 

「完全に男性優位の世界で、若い、おまけに外国人女性である私が奮闘している姿に、それまではベテランエディター達からも優しい手が差し伸べられていたのですが、その日を境に180度態度が豹変しました」

 

陰口や仕事への妨害……さすがのポジティブ志向の愛鈴さんもこれはかなりこたえた、と振り返ります。

 

 

「そんな時、友人の一言が私を奮い立たせてくれました」

それが「やっかむよりもやっかまれる方がいい。やっかまれるということは、君に才能がある、という証拠でもあるから」という言葉でした。

 

ボクシング史に数々の記録を打ち立てたフリオ・セサル・チャベスと 

 

 

更にエディターとして頭角を現し、ディレクターとなった彼女に、新たな局面がやってきました。アステカTVのルチャリブレ(メキシコスタイルのプロレス)番組「ルチャ・アステカ」の司会者/レポーターとしての新たな活躍です。

 

ルチャドール、カリスティコとNishino Cometa

 

 

メキシコで絶大な人気を誇った日本の60年代・70年代ドラマ「コメットさん(スペイン語ではSeñorita Cometa)」から命名したNishino Cometaが担当するコーナーは高い視聴率を誇り、彼女はタレントとしてもアステカTVと契約を結ぶことに。

 

「浴衣姿がトレードマークになったNishino Cometaですけれど、第1回目の登場なんてひどいもので。いきなりメイクもなく、私服のまま『はい、カメラの前に立ってレポートして』って」

 

それでもやり遂げた、その肝っ玉の太さ。私にも少し分けていただきたいところです。はい。

 

2018年アステカTV1chで放送”Educando a niña”にも出演したCometaさん。

ドラマ内ではメキシコ1高級な日本食レストランのオーナー、という役柄でした。

 

 

そんな愛鈴さんの活躍が日本にも届いたのが、冒頭でご紹介のサンケイスポーツ通信員としての本田圭佑選手の現地取材

 

「昨年、本田選手のパチューカ移籍のニュースを聞いたときには『これだ』と思いましたよ」と彼女はいいます。

 

常々、日本とメキシコを繋ぐなにかをしていきたい、と考えているという愛鈴さんの元に、日本のメディアからのオファーが数多く舞い込んできたそうです。

 

「15年間メキシコのスポーツ界に携わってきた経験と自信。それに基づいた取材を日本に届けられるのは本当に嬉しいこと」

 

日本のサッカーファンにもお馴染みのホルヘ・カンポス

 

 

 

メキシコに愛される彼女の次のステップは

いかにも華やかに順風満帆なキャリアを積んでいるように見える愛鈴さんですが、もちろん、その道は決して平坦なものではありません。

 

「努力すれば夢は叶う」なんていうには、いささかトウが立ちすぎてしまった私。

努力だけではどうにもならないこともたくさんある、とは思います。

が、愛鈴さんを見ていると

 

-扉は叩かなくては開かない、という行動力

-このチャンスは逃してはならない、という判断力

-現状で満足していいと思わない、研鑽力

 

この3つの力に努力が合わさって、今の彼女があるように感じました。

 

 

 

さてそんな愛鈴さん、今後の展望は、と聞いてみると

「どうでしょう…ずっと走り続けてきたので、今は週2日はしっかりお休みをいただくようにしています。大学教授でもあり、音楽家でもある父親の影響で、音楽の道もいつか、なんて夢も持ち続けているんです。でも、不思議なもので『もうこれ以上は無理だ!日本に戻ろう!』なんて思うと、昇進だったりNishino Cometaさんだったり、新しい道が目の前にひらけるのですよね。まるでメキシコが私を日本に帰さないようにしてるみたい」

 

愛鈴さんを手離したくないメキシコの不思議な力は、まだまだ続きそうですね。

 

 

Instagram @cometaynishino

Twitter @cometaynishino

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